先日書きましたが

先月末に、私の父が亡くなりました。

 

2年前に脳梗塞を患いその後、後遺症として身体の半身がほとんど動かず、また、言葉を発する機能も壊れてしまう失語症になっていました。

 

あれほど人と話すことが大好きだった父ともう二度と話をすることができないということと、もうこの世には父はいないんだという現実がだんだん時間を追うごとに実感してきています。

 

親の死、というのは何か特別な想いがあります。

 

生きていてくれている時は、「居てくれてあたりまえ」なので、特に何も意識することはなかったのですが、死んでしまって肉体がこの世から消え、もう本当にどこに行っても会えない、と思った時、私は今まで生きてきた中で体験したことのないような寂しさを感じました。

 

誰しも行く道だとわかっていても、心の中に生きていると思ってはいても、やはり寂しくてたまらないのです。

 

父が息を引き取って、その後、お通夜や葬儀、そしてバタバタと父の周辺のかたずけやお世話になった方へのご挨拶。

 

普段は遠くに住んでいる兄と一緒に、父の思い出話をしながら故郷の松山に行ったりいろいろな役所の手続きをしてみたり。

 

そうやっている間中も兄も私はずっと父の魂がそばにいるような不思議な感覚でした。

 

そう思いたいからそう感じるんじゃない?

と言われそうですが、確かに視線を感じていて、

なんともいえないあったかい眼差しをこちらに向けられているような感覚です。

 

亡くなってから49日間は、あの世にいかず、この世で魂がいて、見送ってくれる人達のことを見ているんだと私は小さい頃から教えられてきました。

 

でも、それはきっと本当にそうなんだな、と今感じています。

 

49日間は、亡くなった父の前に毎朝、ご飯とお茶と、そして夜には大好きだったお酒とするめ?をお供えしお線香を絶やさないようにします。

 

そんな姿を見て子供は、「おじいちゃん、お酒飲みよん?」「おじいちゃん、美味しい言よん?」と、不思議そうに見ています。

 

私は子供の頃から祖父母の家で過ごす時間が多かったのですが、毎朝仏さんにご飯やお茶をお供えして、夜眠る時には、「ご先祖さんに、お休みなさいを言ってから眠る」というのが日々の習慣でした。

 

生活の中で「それが普通」であり、夜ご飯の会話の中には、祖父母の会話のはしばしに、「悪いことをすると地獄に落ちる」とか「天の神様が見てる」といったことが飛び出し、子供心に、目には見えないけれど、空の上から全部お見通しな大きな「何か」の存在を感じていました。

 

とは言っても私は、何か特別な信仰を子供の頃から持っているわけでは、ありません。

 

死んだら魂はあの世に行くのか?それとも肉体が終ればそれで骨になって、終わりなのか?それはわかりません。

 

目には見えないので、証明することはできません。

 

でも私は、「魂はある」「あの世はある」と思い込んでいます。

 

たまたま縁あってこの父の娘として生まれて、すったもんだして反発したことも、今となっては「それがあったから今がある」と思えます。

 

父の想い出は、今は、いいことしか思い出せません。

 

兄は私以上に、父に反発し、早い時期に父の元を離れました。

 

父が倒れてもまだ反発は消えず、「おやじの人生だからしょうがない」と言っていました。

 

しかし、告別式で最後の出棺の時、父の顔に抱きついて「何もしてやれずごめんな。ありがとう。ありがとう。」と誰よりも泣き崩れた兄を見て、私の兄に対するわだかまりは一瞬で消えてしまいました。

 

男同士で素直になれない気持ちを汲み取ってあげられなかった自分を恥ずかしいとその時思いました。

父や兄のつらさや淋しさを全くと言って理解してあげられなかった自分に後悔ばかりです。

 

 

親の死は、何よりもの教育だと言いますが、その意味がなんとなくわかるような気がします。

 

残った私は、自分の残り時間をちゃんと生きてやろうって思わせてしまうんです。

 

これは本当に不思議です。誰に何を言われるより、どんな本を読むより、自分の中の魂がそう叫びだすんです。

 

そうでないと、先にいった人が悲しむような気がするんです。

 

父が逝ってしまって、まだまだ寂しいです。それでも日々忙しく時間は過ぎていきます。

 

夕方時、子供を迎えに行く車に乗っていると、陽が沈もうとしています。

そんな時、涙が溢れてきてしまいます。

車の中なので、誰も見ていないし聴こえないので号泣です(--:)

 

でも、しばし泣くとすっきりして、「さ、ご飯作ろう!」と妙にあったかい気持ちがまた湧きあがってくるんです。

 

自分だけで考えて、自分だけで動いて生きているように思っていた時期もありましたが、つくづく私は、親や兄弟や家族や、職場の人や、そして大切な人達に支えられて生きていることができているんだな、と感じます。

 

つい先日、お通夜にも来て下さったある方とお会いしてお話をしている時に、こんなことを教えてくれたんです。

 

「お通夜の時、マネージャーの近くでお父さんがニコニコしていましたよ。マネージャーの体のことを心配していましたよ」って。

 

それは聞く人によっては、「そんな馬鹿な」と思うようなことかもしれません。

 

でも、私はその時その人の言葉がスーッと心に入ってきたんです。

 

「ああ、そうなんだ」と。こういうあたたかい気持ちが今、私を動かしています。

 

 

もうまもなく父が本当に上の方に行ってしまう頃には

本当にスッキリして「じゃ、また」と思えるような気がしています。

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