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こんな本が出てます。

草食男子ならぬ・・・僧職男子、だそうです(笑)

 

お坊さんも、時代が変われば、変わるものです。

お父さんの代から引き継ぎ若いお坊さんの代になれば

お寺の雰囲気もまた、ガラリ、変わるものです。

 

 

実際、お寺というところは

敷居が高すぎてなかなか足を踏み込みにくい場でも、あります。

駆け込み寺というくらいですので

いつでも誰にでもひらかれており

心の救いの場としてもっともっと受け入れ体制ができたらいいのになあ

とも、思います。

 

私も高校時代からお寺は必要な場でありました。

そのお寺にいたお坊さんの存在が大きかったです。

 

また、社会人になってからは

六萬寺という牟礼にあるお寺には月2~3回はお邪魔していました。

同じく、そのお寺にいたお坊さんの存在があったから、です。

 

要は、人、です(笑)

人に惹き付けられ

さらにそのバックにあるのがたまたまお寺というシーンだった

ということです。

 

私は、お坊さんがいく大学に行きましたので

お坊さんやお坊さんの卵とは長い時間を共にしました。

なにせ寮生活でしたので

朝から夜まで、時には深夜から早朝まで

休日も顔を合わせ生活を共にしていました。

 

ある意味、とても面白く、そして別世界でした。

 

男子寮には400人くらい、いたでしょうか?

それに対し、女子寮は30人弱。

想像して下さい・・・すごい世界を(笑)

 

女子寮の女子の大半は、男子寮の「お坊さんの卵」と

しょちゅう恋に落ちていました(笑)

 

そこでまず思った疑問

①「お坊さんって、恋愛していいのか!!」

 

いいのですよ。

抑圧された中での恋はこれまた燃えるもの、なのです。←あ、私じゃないですよ。。

 

②スーパーカー(←当時はそう思ってた!)に乗って学校にやってくる

お坊さんの卵の数々を見て

「お坊さんって、スーパーカー乗っていいのか!!」

 

いいのですよ。

お坊さんはスーパーカー好きな人が多いのか

外車もたくさん!

 

もちろん

「私は自転車派です」という

しみじみしたお坊さんも。

 

私の中では、「お坊さんとはこんなもの」

というイメージがあったので

そこで見るすべては刺激的で、面白いことばかり、でした。

 

なんでもそうですが

押さえているものは、その反動が大きい

のです。

欲望も抑えている人ほど、

お酒を飲んだり、理性がはずれる瞬間があった時には

はじけ方も激しい、のです。

 

欲望を抑えるのではなく

達観して悟ってしまえるような立派なお坊さんも

たくさん、いました。(←そのように当時は見えました)

 

将来は「お坊さんになる」という学生が多かったせいか

おそらく普通の大学生では交わさないような会話だったし

コミュニケーションだったと、思いますが

哲学的なことを夜遅くまで話す機会は恐ろしく多かったです。

じっくり話す、深く話し込む

ことが嫌いではなくなったのは

この頃の影響かと、思います。

 

テレビで、「僧職男子が大人気!」とやってたのですが

なんとなく、わかるなあ、と思いながら今朝、見ていました。

 

お坊さん

もしくは

お坊さんの卵さんは

話をじっくり聴いてくれる

人が、割合的に多い、と思います。

 

私の知っている「僧職男子」もやはり、とてもじっくり話を聴く姿勢が

印象的な人、です。

 

学生時代からそう、ということは

育った環境で培われたものなんだろうなあ

と思います。

 

もちろんお家はお寺です。

護摩のにおいがぷんぷんする中で

シーンとした空間が普通にあり

心が落ち着く要素が

全て揃っているのが

お寺、だと思うのです。

 

素晴らしいシステムになっているなあと

私はしみじみ感動するのですが

五感の全てに働きかけ

心を動かしていく仕組みが

お寺、そして「宗教」と言われるものの中には

必ず組み込まれています。

 

今は、自律神経が乱れがちな、時代です。

自律神経とは、自分で「さあ、バランスとろう」と意識することが

できないもの、だと言います。

 

ストレスや、イライラで知らないうちに

崩れていくのが自律神経。

 

心を落ち着かせ静かにさせることが

何よりも大事です。

 

それを整えてくれる最たるものは

やはり、人、でしょう。

 

落ち着いた人

心静かな人

がじっくりと、きちんと向き合って、上からでもなく

下からでもなく、

さらに何の利害関係もなく

話を聞き、心を受け止めてくれたなら

そりゃあ、気持ちがいいものです。

 

心が疲れて

精神が疲労することが増えてくると

人はますます

より、落ち着ける、平和な空気があるところや、人に集まって

いくと思います。

 

かかりつけのお医者さん

と言いますが

これからは

かかりつけのお寺がある

ということが、当たりまえの時代になるかも、しれませんね(笑)

 

お寺も人が集まらず

檀家さんという概念が若い人には通じなくなってきているがゆえに

存亡の危機にあるところも、多いそうですが

お坊さん次第、だと思います。

 

お寺があり

その中に心を入れるのは

そこにいる人、です。

 

地域の中に、人が集える場所があるというのは

本当に素敵なこと、です。

 

私が通っていた牟礼の六萬寺というお寺には

当時今雪ご住職というお坊さんがいました。

 

毎日毎日、大勢の人のために開放し

老若男女が朝から夜までひっきりなしに、やってきていました。

フラリ立ち寄れる雰囲気が、確かに、ありました。

 

なんとなく入りにくい場所と

ふら~っと入っていけそうな場所って

空気で感じますよね?

 

人には、悩みを吐き出す場が必要です。

そんな場は今は、そうそう、ありません。

お金を払って悩みを聞いてもらう場はいくらでもあります。

しかし、

「思わず心を開いてしまった」

「思わず悩みを吐き出してしまっていた」

とさせてしまう場は、そうそう、ありません。

 

あったかそうな、場所です。

安心できそうな、場所です。

 

私にとって、当時通っていたお寺はそういう場でしたし

そんな場がたくさんあれば、素敵なことが起こるだろうなとも

思います。

 

誰がいったか

僧職男子・・・・悪くないと、私は思います。

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