ある出来事に出会い

ある人に出会い
「そうだ!こうしよう!」とテンションがあがり、
一瞬変わったような気がして、
あたかも自分が生まれ変わったような気がしていたのに
1週間もすると
またもとの自分に戻り
あいかわらずの同じような悩みを抱えている
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こんなパターンに陥っている時その人の話す言葉を聞いていると
共通することが、あるんです。
「あの人が、いいっていったから、私もしたのに」
「みんながするっていったからしたのに」
「私はそんなつもりなかったのに、あの人が」
どんな前後があるにしろ
その行動をとったのは
他でもない、自分です。
そうしなきゃ後ろから包丁つきつけられて
刺されるような状況でもない限り、
やっぱり、自分で決めて
自分が動いているんです。
いま、
突発的に
何か自分にとって困ったことが起こったとしても
その出来事は
ある日突然天から降ってきたような
自分にたまたま降りかかってきたようなものではなく
その種は自分が蒔いてます。
あらゆる出来事は
外からいきなり自分めがけてたまたまやってきているのではなく
自分を一度通過してから、やってきてます。
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私は、そんなつもりじゃない
私は、そんなこと考えたこともない
ってことでも、
客観的に他人から見てみると
「あ、この人はこれが原因で、今、こうなってるのね」
ということが、わかります。
えらそうに言ってますが
私自身がそうなので
身近な誰かに指摘されて
はじめて気が付くことなのです。
自分のことは
さっぱりわかりませんが
近くですぐに指摘してくれる人がいると
記憶を辿っていったところに
確かにその「種」はあります。
自分が種を蒔いているんだ、ってことに
気がつくまで
エンドレスで次々といろんなことが
起きます。
小さなことから、
大きなことまで、
全部こうなってます。
自分はそんなつもりじゃないのに
相手には全然違うように受け止められてしまったり
自分が言ったことに対して相手が
「なんで、そんな風に思われるの?」
となってしまったり。
嫌な気持ちになってりすると
心の中で自分を誤解している相手を批判してしまったり
することだって、あります。
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人はみな感じ方が違う
これは理屈では頭では、わかります。
でも、腑に落ちない
感情がついていかない
そういう人との関係でグレーな感情になることは
誰しもよくあることです。
人に誤解されたり、
批判されたり
誤解されたまま距離が遠くなることは
生きていると
誰だって、あります。
その時に
大事なことは
逃げ腰にならないことだと
思います。
逃げ腰、とは
被害者的な意識を持たないこと
です。
あの人がこう言ったから、私はこんな嫌な想いをしてる
あの人がこんなことしたから、
あの人にこんなことされた
一時が万事なのですが、
そういう言葉を使わないことが
ミソだと思うのです。
あの人にこうされた
という言葉を
私がこうするよ
という言葉に変えていくと
その言葉をきっかけに物事が好転しはじめます。
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特に女性は
「だまされた」
とか
「ふられた」
とか
「都合のいいようにされた」
とか
口にしないこと、です。
そンな言葉が
自分の口から出た瞬間に
自分で自分を「私は価値のない女」
しっかり心に刻み込んでしまうから、です。
一度自分で下げた自尊心を
引き上げる作業は
なかなか大変なのです。
だから、絶対に
自分で下げないこと。
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いじけた言葉を使ってると
いじけた口元になります。
いじけた口元は表情筋を歪ませますので
いじけた表情になり
その結果
「いじけた印象の顔だね」という人になるのです。
いじけた人間に
人は冷たいもの、なのです。
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泣きたくなるような状況でも
「そりゃあ、あたしのせいじゃないでしょ」って状況を
突きつけられたとしても
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「よっしゃ」
と前のめりで
必死で取り組もうと決めると
どよんと悩んで暗く過ごしている時間は減るのです。
どよーんとした状況は
そこで思考が停止して
「ああ、どうしよう」とグレーに感情にとどまってしまうから、
継続するのです。
考えてる時間があったら、
「じゃあ、どうしましょ」と打つ手を探すほうに
足を運んでると
必死で動いている間は頭の中は真っ白なので
「ああ、どうしよう、いやだな」っていう感情に
支配されることはないのです。
被害者意識で受け止める癖があると
どんなにいいものをもらっても
どんなにいい先生からいいことを教えてもらっても
「そうはいっても、できない」
「できないのは教え方がわかりにくいからだ」
「いいものだけど、私にはつかえない」
・・・と、素晴らしいいものをせっかく
目の前に
「はい、どうぞ」とくれてるのに
受け止めることができない
とってももったいない状態になってしまいます。
本当は私にくれるはずだったいいもの全部を
隣の素直で受け取り上手なあの人に
もってかれるものなのです。
これをやろうと
決めたら
そこには「あの人」も「この人」も「ああ言った」も「みんながそうだから」
もなにもないんです。
これをやると
私が決めたら
それでOKなんです。
あとはひたすら
言い訳せずに取り組む
できないことにあたっても
わからないことにあたっても
ひたすら取り組んでいく。
信じられないな
と思うことがあっても
つかめることがあるまで
やる
それでも
周囲の声が気になったり
身近な誰かの声や態度が気になったりした時には
原点に戻るんです。
何をやっていても
それをやってるのは
他でもない
自分自身なんだ、と。
子供のせいでも
親のせいでも
夫のせいでも
会社のせいでも
制度のせいでも
なんのせいでもなく、
今、これをやってるのは
自分。
やらないのも自分
頭でやろうと思ってても
めんどうくさくてやらないのも自分
と自覚していくんです。
「ああ、全部自分が決めて、自分がやってるんだ」
そこに気がついていくと
起こる出来事は本当に変わります。
「あの人がそういったから、そうした」
「みんながそうだから、私もそうした」
という言葉の裏には
私は悪くない
悪いのは自分じゃないあなた、そして環境
もっといえば
だから、私を責めないで
もっと大事にしてよ
という気持ちが隠されています。
そして
私が決めたんじゃない
あの人がいいと言ったから、そうしただけ
という気持ちもあるのです。
つまり、
自分で決めてない
というところが
ミソです。
その人がどうやって自分の毎日を生きているかどうかは
その人の何気なく使う言葉癖を聞いていたら
わかります。
何が起こっても自分が決めてやってるんだ
と主体的に取り組んでいる人
私に起こるアクシデントやトラブルは
私以外の誰かのせい
と常に被害者意識で生きる人
真ん中はないんです。
それは
その人の思考の傾向というか
パターンです。
思考のパターンを変えることは
頭の構造を切替えちゃうということなので
それは具体的な作業です。
「前向きに頑張ろう」
といかいう精神論ではなく
もっと具体的なこと、です。
頑張ろう
とか
気にしないようにしよう
とか
そういうあいまいなことを考えるのではなく
この件に関しては
私はどのように主体的に取り組んでいこう
関わっていこう
考え、動くのです。
主体的に動こう
とすると
面倒臭いことでも
「ああ、めんどうくさ」
という感情が
消え
どうやってやりとげようかなという
具体的方法に頭や体がいくので
同じ時間を使うのなら
その方が精神的にも肉体的にも健康です。
嫌なことは1分でもしたくないので
嫌なことを「主体的に取り組む」という
頭に切り替えるんです。
私達が日々思うこと
ひとつのエネルギーです。
「ああ、いやだな。面倒だな、不安だな、あの人嫌だな」って湧き上がる感情も
ひとつのエネルギーです。
そのエネルギーは消してなくすことは、できません。
できることは
「形を変えちゃう」って方法です。
てっとり早く変えてしまう方法は
言葉を変えることだと、思います。
同じような会話を展開する人同士とずっと一緒にいると
同じような考え方、感じ方が伝染してきます。
自分を変えようと
する時は
うまくいってる人の何気なく話している言葉を
耳を澄ませてよく聴きます。
そしてコピー&インストール。
せっかく
目の前で
ブロックもかけずにしゃべってくれているんだから
とっととコピーして、自分の中にインストールです。
継続的にうまくやってる人は
かならず
その種となる言葉は
そこいらの人とは違うはずなんです。
いい種をまくような言葉を、態度を
使ってる。
人からいいものを引き出すような言葉を使ってるんです。
人を安心させたり、いい気持ちにさせたりする人もいれば
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言葉ひとつで
人を不安にさせる人もいます。
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その種を見つけるんです。
そしていい種を見つけてひろって
自分の中に植える。
そうやって
学べるものはぜんぶ盗んで頂き、です。
この人のここすごいなあ
って感じることは
私はよくあります。
あの人苦手ーーーなんて、やってる暇なんて
人生にはそんな余裕はないんです。
苦手だろうが、なんだろうが
すごいところは全部学びとってもらってしまいたい。
好きだの嫌いだの
年上だの年下だの
どこの人だの
そんなことはどうでもよく
学び取れるものは全部まなびとる。
そのために
人の言ってることは
よく聞く、ということをするんです。
好き嫌い
苦手得意
で人の話を聞いたり、聞かなかったりしてると
幅はどんどん狭くなる。
自分に合わせてくれる人とは話せるけど
合わせてくれない人とは
話せない
こうなると
晩年つまらない人生になりそうです。
あっちもこっちもOK。
どんな話も首を突っ込んでいける
面白がっていける
タブーな話は、ほぼ、ない
って人の方の前にいくと
私は、ついつい惹き込まれます。
だから、私もそうなりたい
といつも思ってます。
あれがだめ
これがだめ
じゃなく
四方八方によし
あれもありこれもあり
ってのが相手にとっては
楽です。
主体的に前のめりで
取り組んでいく
そして
引かない
こと、です。
みんなはドン引きしても
私は引かない。
「私が、やってるんだ」
って言葉癖が
自分の脳みそを劇的に変えてくれる
キーワードなんです。
■平成27年6月17日(水)母性型勉強会のお知らせ
場所:吉本歯科医院2階(今回は国際ホテル会場が使えず、吉本歯科医院で開催)
時間:18時半~20時半
費用:3,000円(食事代込み)
申込は:http://boseinomonosashi.com/study/

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