昨日、お通夜に行きました。

まだまだ現役で活躍できるような年齢です。
遺影を前に
どうしても現実のような気がしません。
私は数年前に、この方と奥様、そしてそのお仲間のバンドをお願いし
自分達のパーティに2度ほど来ていただいたことが、ありました。
オールディズのバンドで、奥様が素敵な黒いパンツスーツを着て
司会進行をし、ご主人と仲間達が音楽担当。
思わず踊りだしてしまうバンドで
そこにいたお客さんはみんな席を立ち、踊りだした夜を思い出します。
素敵なご夫婦だなあ、といつも思っていました。
奥様は、子供ができたばかりの頃の私に
「子供はね、可愛い可愛いって育てるの。
決して規制しては、だめ。
抱きしめて、抱きしめて、のびのびと育てるの」
と教えてくれました。
お通夜の席では、
奥様と、娘さん二人が目を真っ赤にして
涙をぐっとこらえて大勢の列席の方の焼香に頭を下げていました。
いつもほがらかに笑っている娘さんが
涙をこらえて、でも凛と背筋を伸ばしてちゃんと応対を
している姿に、さすがだな、と思いました。
そして、どれほどかお父さんを愛していたんだろうなと
思いました。
私は、自分の父が亡くなった時以来、大事な人があちらの世界に
逝ってしまうことが、前よりもずっとずっと怖くなりました。
急に、心細くなったり
目の前の大事な人達が、もしいなくなってしまったら
どうしよう
なんて、考えたりするようになりました。
とっても幸せな時間を過ごした後などは
特にそんなことをふと、考えます。
お父さんにもう会えない
冷たくなって動かなくなってしまったお父さんには
もう話しかけることも、できない。
病気の時は、
それでも息をしてくれているので
目が開かなくても、会えるんです。
でも、息をしなくなって、冷たくなって
焼いて骨になってしまったら、
もうどうにもこうにも会うことができないんです。
話すことだって、できない。
そんなことが、溢れて溢れて
私も何年か前の父の通夜の時は
同じように喪主の席側に立って頭を下げていました。
親と子は、ただ偶然に
たまたまそこに生まれるわけではない、と私は思っています。
私の魂と、息子、娘の魂がどこかで
ピーンと合わさって、
求め合って、
親と子になっているんです。
たまたま、ぼんやり、親子になってるわけじゃあないんです。
だから、もしこの世を去った後には
また、魂はずっと残って、またピーンと合うところに
飛んでいってしまうのでは、と思ってるんです。
変でしょうか?
私は、自分の親が亡くなって、もういなくなってしまって
はじめて、
こうして親子で一緒にいられる時間だって、
少ないんだ、と思うようになりました。
喧嘩してる暇なんて、ないんです。
あっという間、です。
あの世は、あるかもしれませんが
ないかも、しれない。
そんなことは死んでみないと、わからない。
ただ、平等に私達にあるのは「今」の時間だけ、です。
明日には、いきなり何かないとも限らない。
私は、父が亡くなった通夜の日、
「一日でいいから、生き返らせて。
一日でいいから」
と本気でお願いしました。
どっか、神様風の空に向かって。
ドラマでは、ここで「一日だけじゃぞ」とかなんとかで
ひげのおじいさんが出てきそうですが、
現実は厳しく
葬儀社の係りの方が
「初七日までは、このあたりで(うえのほうをさして)いらっしゃいますので
どうぞお声をかけてあげてくださいね」
と言われました。
伝えたいことは
言える時に、まだ聴いてもらえる時に
言っておかなきゃいけないんです。
私と父もたまたま親子になったわけではなく
私と娘や息子もたまたま私と親子になったわけではない。
求め合って、
求め合って、
奇跡的に出会っているんです。
そう思うと、もう存在してることそのものが
すごいです。
穏やかであたたかい世界へ、
ご冥福をお祈りします。

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