とにかく口を閉じよう

 

と、読んで思わず口をきっちり閉じてしまうような文章を見つけました。

 

「このごろ美人顔の重要ポイントを発見した。

長いこと美人は「目」だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

世界に冠たるお化粧大国であるわが国には「目だけ美人」が多いのである。

 

いかに目鼻が秀でていようと、肌が美しかろうと

パーツの配列が正しかろうと、口元が悪ければすべて悪い、

とまで言える。しかも、そういう「惜しい不美人」がすこぶる多いところを見ると

おそらく化粧では修正しづらい部分なのではあるまいか。

 

厳密に言うと「口」ではなく「口元」である

絶世の美女と謳われる女優さんなどは、

洋の東西を問わず、この口元が美しいことに例外はない。

淋しげな一重瞼でも

お肌が荒れていようとも

エラが張っていても

鼻が低くても

なぜか美人は美人だという秘密はこれで、

まさしく口元の良さこそ、「七難を隠す」のである。

 

最もわかりやすい例は、ダ・ヴィンチの「モナリザ」である。

かつて「モナリザは男だった」という異説がまことしやかに流布されたように、

彼女の顔は必ずしも美女の基準を満たしているわけではない。

むしろ、パーツのひとつひとつやその配列をよく観察してみると

格別な美人には見えないのである。

 

ただし、口元は魅惑的である。

聖なるものと俗なるものが、絶妙の均衝をもって

表現された「モナリザの微笑」によって彼女は美女の代名詞となった。

 

さて、このことに確信を抱いてからというもの

生まれつき面食いな私の採点はいつになく辛くなった。

お肌は目には渾身の化粧を施しながら

口元のだらしない女性は気になって仕方がない。

 

むろんここでいう「だらしない」とは

「歯並びが悪い」

とか「唇の形が悪い」

ということではなく

「緩んでいる」

という意味である。

 

口元に緊張感がなく

いつも唇を半開きにしている女性が多い。

いや

女ばかりではなく、男もまた然りである。

 

ちなみに電車の向かいの席に並ぶ顔や

テレビの視聴率参加番組に集まる若者達の表情を

よく見てみるがいい。

 

ほとんどが透明の食物をくわえているように

だらしなく口を開けている。

 

飽食の時代の表情

無為徒食の時代の表情

とでもいうべきであろうか。

物を考えぬ時代の顔である。

 

 

人間はおのれの力を発揮しようとする時

それが筋肉の力であれ頭脳の力であれ

必ず奥歯を噛み締めて唇を結ぶ。

 

日常生活の中でそういう必要がないから

口元の緩みが地顔になってしまった。

かくて「目だけ美人」が氾濫したのである。

 

しまりのない口元は一見して品性に欠ける

表層をどれほど上手に湖塗しようが

品のない顔に美しさを見出すことはできない

 

品性とは、ささいなことでもおろそかにせず

きちんと考え、きちんと行動する性格のことであるから

つまり豊かな時代の中でそうした努力がさほど必要なくなったということなのかもしれない。

 

適当に生きてても何とかなるから

口を閉ざす必要もなくなったのであろう。

 

 

口元を知性の表象とする観相学にも一理ある。

俗に「勉強すると顔つきが変わる」というやつである。

学問に限らず物を考える習慣で、

表情がみるみる変わるのは確かだから

読書のかわりにメール交換をするようになった結果

ぽかんと口を開くようになった、とも考えられよう。

 

こうなると

美人への道もなかなか険しい。

なにしろ私達は、バカになえらざるを得ない社会環境の中で生きているのである。

 

しかし、人間の表情というものは

本人の自覚次第でいかようにも変えることが、できる。

常に口をきりりと結ぶように心がければよい。

 

男なら「莞爾(にっこり)」

女なら「嫣然(にっこり)」

 

という笑顔はあんがい演出できるのである。

ともに品性ある人間の笑顔である。

 

 

「目だけ美人」の氾濫は世の凋落を見るようで

甚だ、憂鬱になる。

ちなみに友人の医師の説によると

常に口を半開きにしている人は

呼吸器感染症にかかりやすく、

予防医学上のハイリスクを負うそうである。

 

美容ばかりか健康のためにも、口は閉じることにしようではないか」

 

浅田次郎「ま、いっか」より抜粋。

 

ね、思わず口をキュッと閉じて

にっこり、しようかな、と意識してしまいますよね。

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