余談です。

昨日、夜、遅くまで母と話をしながら、「へ~、それは面白い」という話を聴きました。

私の母は、本に囲まれて暮らしているのか?というほどの本好きです。

そしてその中でも特に好きなのが歴史モノ。

 

その母の父(私の祖父)もまた本好きで、10畳ほどの書斎には何層にもなった本棚には

ぎっしり本が詰まっているようなところでした。

私の子供の頃から、眠る前にお話をしてもらったのは、絵本ではなく、母が話す

歴史ものでした(^^;)

戦国時代の話などは、「もう夜中じゃないか!!」というほど、話しを聞き入ってしまった

経験がよくあります。

徳川家康あたりの修羅場シーンなんて、何度聴いたか。。。。

今、冷静に読んでみれば、相当脚色していましたが、

小学生の子供にとっては、やっぱりドキドキするほど想像が膨らみました。

 

それほど、語り口調に惹き込まれ、子供心に、勝手に空想の世界に入っていったのを

覚えてます。

 

そんな母とはよく話をするのですが、「もともと、女性っていうのは日本では太陽だったのよ、知ってる?」という話題からでした。

日本の縄文時代は、今からさあ、8000年前、弥生時代でも2000年前、その頃の日本の

お話が残っているのは、日本神話です。

その日本の神話、古事記の中では、一説では、日本人が最も理想とする男女関係は

姉と弟の関係である、というんですね。

興味深い話だと思いませんか?

 

姉であるアマテラスオオミカミは、豊饒の象徴であり、その弟であるスサノオノミコトは姉を補佐する

力の象徴です。

この場合は、男性は女性の伴侶ではなく、女性のつかさどる政治の協力者として描かれているんだそうです。

世界中どこを探しても太陽は、男であり、月は女であるとしていますが

ことこの日本だけは違うんです。

全く逆。

アマテラスは女神であり、太陽の象徴。

女を太陽にたとえるのは、この日本だけなんですって。

 

神話は実生活の縮図。

 

日本人が昔から、女ならでは明けぬ国にっぽん、とうたってきたのも

このあたりに根源がありそうです。

 

社会も行き詰まって、家庭も実は行き詰まって、男女の関係も実は行き詰まってきてるとしたら

それこそ、新しい関係を構築することだって、必要かもしれません。

現に、私の周りには、結婚という形態をとっていないけれど、心底コミュニケーションが取れている

いい関係のカップルもたくさん、います。

そして、この神話の中にある、姉と弟の関係のような夫婦も、最近増えてきましたね。

12歳年下の旦那さんと仲良くやっている夫婦もいます。

 

世間一般のパターンからいわゆるはずれている世界の中には、

びっくりするほど居心地のいい関係を築きあっている人たちが結構います。

それは、家庭とか、夫婦とか、仕事とか、生きかたとか、

いろいろなことに対して、とってもおおらかで柔軟な感覚を持っている人です。

そういう中にいると、「あれ?こういうのも意外にありかも?」と

どんどん既成概念がぶち壊されていく快感があります。

 

ところで、自殺者が相変わらず減らない日本のようです。

自殺って、結構表には出てこないので表面化せず、「私の周囲にはいないわ」と思いがちですが

結構、あるそうです。

自殺者がどんどん増えている。

この香川でも大企業の中で働く社員の中にうつ病の数が多かったり、自殺者がでたり

あるんだそう。

それって、どう考えても、社会そのものがいびつな証拠です。

根本的なところが曲がってんだと、思います。

比較、競争、の思考のスパイラルから、それに乗っていけない人は、弱いものとして

こういう社会では扱われます。

そして、力の強いものが力の弱いものを押しつぶす、しかも、物言わず、おしつぶしていく

こんな感じが、どうも嫌です。

 

どんなことがあっても、自分は自分を信じられ、私って大丈夫、えらい、すごい、って自己肯定が

できない、できにくい、社会です。

 

教育現場の先生方も、今、「自分を好きになれない子供が多い」って言います。

そういう先生自身も、実は自分を好きじゃない場合が多い。

さらに、自分を好きじゃない、認められないお母さんが子供を育てると

やっぱり同じように子供を育ててしまいます。

全部繋がっていますので、やっぱり根っこであるところを早々に見直す必要があるんです。

学校でも、家庭でもそれが無理なら、それを職場でやっちゃえ!

というのが吉本歯科医院流です(笑)

人と認め肯定し、励まし育て続ける職場。

理想です。

 

そのまま社会に出て、職場に入って、

今度はもっと厳しい世界です。

職場は仕事なので、甘える場ではない

自分を信じられない、好きになれない、なんて甘ちょろい感情を吐き出す場ではない、

それがきっと今までも、そして今も最も多い職場の形ではないでしょうか。

 

でも、改めて私は今思うことがあります。

人は、自分自身のことを、ある意味、「私って大丈夫、いけてるわ♪」と心底思える人間になった時、

せまってくるあたゆる問題、事件に対して意外にも淡々と対応できていけるもんです。

 

また、逆に、自分のことを心底信じきれない場合は、自分のことが嫌いな場合、

ありとあらゆる諸問題にしょっちゅう巻き込まれ、そのたんびに心が消耗していきます。

そして、些細なことでも、周囲の人をガガガッと巻き込んでしまい、大きな事故になっちゃったりします。

 

ひとたびそうなると、

「私なんて、いなくても」

とか

「私の存在価値はない」

とか、

そんなこと誰も思ってないから~~~!!!(><)というような後ろ向き思考が

自分の中だけではじまってしまいます。

 

これだけ社会がいびつになり、人との関係が希薄になってしまったとしたら

一番必要なのは、いかに自分の心をちゃんと守っていけるか、だと思います。

おかしな方向に走ってしまわないように。

感情がどどど~んと落ち込んでしまているとき、暗い迷路に入っている時

その9割方は、おそらく自滅と、妄想だと思います。

自分で不安をつくりあげ、妄想し、消耗する。

これって、おひとよしの日本人特有らしいです。

根っからの前向き思考な民族ではないのが、日本人だから(笑)

 

そういう意味で、ぼや~っと生きていたら、絶対駄目です。

意識をもって、ちゃんと目を開けて、しっかり生きていないと

あっという間に流されてしまいそう。

そして、おかしくなりそうになったら、自分をニュートラルに戻してくれる存在の人を

いつも確保しておくことって、とても大事です。

それが職場なら、最高です。

 

ここの中にいたら心が病んだりしない。

と思える場所。

この人に会ったら、自分がニュートラルになれる、そういう人。

欲しいですね。

 

そして、元の話に戻ります。

元来、女性は太陽だった。

日本では。

という話。

私はこれを聞いて、「う~ん、なんて素敵(^^)」と心底思いました。

さらに、「やっぱり」とも思いました(笑)

 

それは女性優位とか、女性が強くとかそういう表面的なことではなく

もっと深い心の問題のこと。

 

今、手元にある本にはこんなことが書かれています。

「日本人は自然であることを第一の価値観とした。

女性文化というものは、農村を中心とし、自然を背景とした生産者文化のことである。

すべての人間が共同で生産にたずさわり、そこには階級も、性の差別もなかった。

一方ヨーロッパ的男性文化は、貴族(つまり私有財産の持ち物)が中心であり

都会生活が基本で、直接生産にたずさわる人間は下層である、と階級づけられていた。

これはそっくりそのまま現在に受け継がれている」

 

まさに、その通りですよね。

そしてこの男性文化がどうにもこうにも行き詰まっている。

その結果、その中で働く人がすっかり働く意欲を失ってしまっているんです。

そして今もまだまだ、どんどんその方向へ「それいけ~」状態で進んでいる、そう思います。

 

行くところまで行かないと止まらないのでしょうか?これって?

 

今はどこの職場も社員がとにかく「我慢してしまっている」そんな感じのところが本当に多いです。

「うちの上司は話をきいてくれないから」

「どうせ社員の言うことなんてきかないから」

何度も何度も、向かい合ってもらえなくなると、やっぱり人は口を閉ざします。

 

我慢は美徳でしょうか?

いえいえ、我慢は関係決裂の第一歩です(--)

一見、我慢は美徳のように見えますが、長年たまった不平不満を一気にぶちまけるときは

かならず来ます。

 

かくゆう吉本歯科医院でも、過去に、こういった我慢の不安や怒りを一気に

ぶつけられた時期も、ありました。

でも、社員が怒りをぶつけようと、思うとき、それはもう「もうここを去ろう」と心に決めてからです。

もしくは、もう言わずに去るか、どっちかです。

恋愛と同じですよね。

 

そういう意味でも、職場では「いかにこまめにガス抜きができる状態を作るか」ということが

本当に大事です。

女性はしょっちゅうガス抜き(感情の吐き出し口)が必要です。

それは奥さんがいる男性なら、おわかりになりますよね(笑)

ほうっておいたり、向き合わない時間が長くなればなるほど、怒りを溜め込むのが

悲しいかな、女性のさがですからね(^^:)

 

女性は太陽、なんとなくそんな気がしてきませんか???

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